「大好きな作家さんを訪ねて」第2回 漆芸家 伊能一三さん

漆芸は日本の代表的な伝統工芸。その伝統素材を使ってこれまでにないモチーフの作品を発表し、注目されている伊能一三さんのアトリエを訪問しました。

いまのご活躍からは想像できませんが、5浪して芸大に入学されたとか?

ええ。苦労しましたよ。性格がねじくれてしまうほど…(笑)。しかも、せっかく入った大学なのに講義もろくに出席せず毎日フラフラ遊んでいたんです。芸大に入って、終わり。中身がない。いま振り返ると、本当にひどい学生時代でした。

よく漆を始めたきっかけも尋ねられるのですが、それも格好の良いものではなく、外部要因に左右されたところが大きいんです。本当は、芸大に入る前は陶芸をやりたかったんです。狛犬とかを作りたかった。でも当時は陶芸が人気の学科で、学業の成績が追いつきませんでした。それで、第二希望の漆芸科に入ったんです。

工芸系の学生にありがちなんですが、漆芸科時代は頭でっかちな作品ばかりを作っていました。大きな船とか、巨大な漆のオブジェだったり、夢見がちだったんですね。

転機は金沢を訪れてからですか?

金沢卯辰山工芸工房の研修生になったのが一つの転機です。芸大を卒業後にフラフラしていた年の暮れに、突然、大学でお世話になった教授から一本の連絡があったんです。「金沢にこういう施設があるから、君、受験してみないか」と。私は金沢に縁もゆかりもなく、卯辰山工芸工房がどんなところかも知らず、とりあえず応募書類を送りました。面接でも好き勝手言ったのですが、運良く合格しました。それで実際に来てみると、とても立派な研修施設だったんですね。他の研修生は全国各地の専門機関で技術を身につけ、倍率の高い試験をくぐり抜けてきたエリートたちでした。これは自分もマジメにやらなければいけないと一念発起し、大学でやらなかったことを取り返すつもりで作品制作に励みました。器をこしらえたり、装飾品を作ってみたり。そんなとき、ふと、鹿を作ってみようと思い立ち、奈良まで取材に行き、できあがったのがこの作品(下写真)の原型です。

漆ならではの光沢や質感が素敵ですね。漆の魅力はどこにありますか?

漆は塗るだけで高級感が出ます。そういう見た目の質感や美しさもさることながら、自分が惚れたのは、その作業工程です。漆を塗る作業というのは、ある意味“神聖な儀式”のような側面があるんです。実際の仕事に入る前に、入念な下準備が必要なんです。

まず最初に刷毛(はけ)を洗う。これは人の毛髪でできているんですが、一度使い終わるとカチッと固まってしまうので、油を使って洗います。次にその油を落とし、その後、何度も何度も漆で洗い直します。最後にヘラのような道具で毛先をきれいに整えて、刷毛の準備はOK。

やっと塗れるかと思えばその前に、下地の表面にゴミやホコリが付いていないか、念入りにチェックします。いよいよ本番という段に及べば、自分自身のコンセントレーションを最大限に高める必要がある。漆は均等に塗るのが鉄則で、少しでも厚い部分があるとしわしわになってしまいます。油断のできない作業です。咳一つできません。またちょっとでも水しぶきが飛ぶと、そこだけ乾かなくなりますし、ゴミやホコリも落ちてないか常に注意します。作業中は緊張の連続ですね。そういうデリケートなところが、初めて触れたときに“神聖な儀式”のような感じがして、以来、漆にハマっています。

漆の色は赤や黒。表現力の制限はありませんか?

それは感じませんね。漆の作品はお椀や器が一般的なので、赤や黒のイメージが強いかもしれませんが、実は顔料も多彩にあるので、彩度は低いとはいえ、けっこういろんな色が出せますよ。

それに、色を塗るだけではなく、漆は接着剤のように使え、土を混ぜれば盛り付けて使うこともできます。「へいわののりもの」の子供のように金箔を貼ってみたり、貝殻を飾ってみたり、漆一つでいろんな表情が見せられる。接着剤として、可塑剤として、塗料として、とても可能性のある素材だと思っています。

作品の中は発泡スチロールなんですよね。意外ですが、その理由は?

中の素材の話をするとみなさん「えっ」という顔をされるんですが、実は深い意図はないんです。大学の漆芸科時代に、先輩たちが大きな乾漆の作品を制作するときによく使っていて、自分も抵抗なく採用したんです。軽くて、丈夫だし、カッター1本で自由な形をざくざくっと作れる。アクロバティックに作業を進められるので便利なんですよ。

天然素材の漆と、廉価な発泡スチロール。自分でも多少のジレンマは感じますが、とにかく原型を作る作業から早く漆を塗る工程に移りたいという衝動が強くて、素材は作業性重視で選んでいます。「自然物と人工物の混合体」とか「新しいものと古いものの融合」とか、もっと立派な理由があれば良かったんでしょうが、スミマセン。最近では環境のことを考えて、発泡スチロールではなく、模型用などで使われるバルサの木を選んでいますが、これも同じ理由からです。

小鹿も子供も「へいわののりもの」。 タイトルに込めた想いは?

うーん、この類の質問をされると、いつも困ってしまいます。というのは正直、タイトルは後付けなんです。制作時にはコンセプトやメッセージのことを全く考えていませんでした。ただ赤い鹿を作りたいから作っていた。作家として身も蓋もない話になりますが、極端に言うとタイトルなんてどうでもいいというクチなんです(笑)。でも展示会に出品するとなると、お約束としてタイトルが必要になり、うんうん悩んだ挙句にポンと思いついたのが「へいわののりもの」。とはいえ、でたらめで付けたわけではありませんよ。私たちも含め、あらゆる生き物の姿かたちというのは、何かを乗せて運ぶ「のりもの」ではないか。そんな感覚が以前からありました。「何か」というのは命とか魂と呼ばれるようなものだと思います。そして願うべくは、その「のりもの」ができるだけより良く、明るい、正しい方向へ進んでほしい、そういう想いを込めて「へいわののりもの」というタイトルにしました。変でしょうか…。

もしかしたら、仏教のニュアンスを感じ取った方もいらっしゃるかもしれません。実は私も“自分のための仏像”を作っているという意識が少なからずあったんです。仏像のたたずまいやしつらえって、独特の魅力や訴えてくるものがありますよね。現在では仏像は人々の崇拝の対象のようになっていますが、歴史的にはその時代の権力者がごく個人的な理由で作らせたものが多いんです。たとえば近親者の病気やケガが治るのを祈願したりとか。だったら、自分が作っているものは私にとっての“仏像”ではないかと。私がこうなればいいなぁという理想の世界観を一つの形として体現している偶像、それが鹿や子供かもしれません…堅苦しい話になってしまいましたね。やはり、どうも私は自分の作品を語るというのが苦手ですね。どうぞ見てくださる方は深く考えず、ぼんやりと作品に接していただけると幸いです。

今後はどんな作品を作っていきたいですか?

私は「作家として世に打って出る」というタイプの人間ではありません。むしろ、ひたすらアトリエでコネコネものを作っていたいタイプ。極端な言い方ですが、展示もあまりしたくないくらいなんです。人手に渡ってしまうのも何か忍びないですしね。そんな調子でよく40歳過ぎまでやってこれたなと思うんですが、いつも先にギャラリーさんや美術館の方から声をかけていただいて、作品を作りつづけてこれました。最近では大きなアートフェアにも誘っていただいたりして、そのような表舞台をあえて避けてきた自分としては恐縮しきりなんですが、せっかくいただいた機会ですので、ご期待に沿える作品ができるように毎日悪戦苦闘しています。

活動拠点はやはり金沢ですね。私は関東出身で、こっちに来るときには「金沢は晴れの日が少なく、いつも雲が垂れこめていて気分も鬱々とするよ」と言われたんですが、そんなことはなかった。まちに高い建物が少ないぶん空が広くて、雲がダイナミックで、けっこう虹も出たりする。ご飯は美味しいし、車で30分も行けば海も山も温泉もある。この環境を知ったら、もう東京の生活には戻れませんね。一生独身だと自認していた私が、このまちに来て家族もできました。

今後もマイペースに、ふだんどおりに創作活動をつづけるつもりです。そんな日々の中で、結果的にみなさんが喜んでいただける作品ができたら幸いです。

「へいわののりもの」の新作、期待しています。本日は楽しいお話、ありがとうございました。(2013年12月)

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